初めまして。Sumikoと申します。
私は、心穏やかに生きる人を増やして、愛と豊かさを循環させたいと思いから、
プライベートサロンmimosaでマシンピラティスやバッチのフラワーエッセンスを使って、心・身体・魂というホリスティックなアプローチでクライアントが自分自身と向き合うお手伝いをして来ました。
現在は本来の自分を生きると決めた自立した人たちで豊かさを共有できる世界を創るべく「mimosa circle」事業を立ち上げ、活動を始めたところです。
この記事では、私がどんな経緯をたどって今の在り方にたどり着いたのかを知ってもらう自己紹介をしようと思います。
私からセッションを受けるかどうかの参考にしていただけたらと思います。
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※現在ピラティスの予約は受け付けておりません。
Sumikoの歴史
幼少期
私は、長崎で生まれ育ちました。
私の先祖は大己貴命(大国主、大黒天)をお祭りする神社に仕える神官として命を繋いできた家系で、現在は母の従兄弟がその神社をお守りしています。
高校を卒業して進学のために地元を出るまでは巫女としてその神社のお手伝いをしたこともありました。
そんな家系に生まれたこともあってか、私は敏感すぎるところがありました。
神社という異空間に行けばなぜか心身が楽になるので、子供の頃はよく神社で遊んでいました。
13歳の時
13歳の時、通学中に「先祖代々の負の連鎖を断ち切る。」という言葉が突然降りて来たことがあります。
なぜか私はその言葉に深く共感し、「それをやらなければいけない」と強く感じました。
中学・高校性の頃は、勉強や部活の合間に自分のルーツを探る時間を持つようにしていました。
この事が後の自分との向き合いにとても役に立ちました。
20代半ばから10年近くうつ病に
私は母子家庭で育ちました。母娘3人でかなり貧しい生活を送っていたので、私は大人になったら豊かに暮らすのだと決め、大学進学に向けて鼻血を出しながら勉強していました(笑)。
念願叶い、国立大学の経済学部に進学することが出来ました。授業料は4年間全額免除して頂き、就職氷河期と言われた中でなんとか内定を取り付け、地元の優良企業に総合職で就職。
しかし、高校時代からかなり無理をしていたようで、就職3年目に結婚し、マンションを購入した1ヶ月後に身体が全く動かなくなりました。
ついた病名はうつ病。カウンセラーの先生には「普通の人は張り詰めた糸が切れて病気になるけど、あなたの場合自分が安心して休める場所を手に入れて気が緩んで病気になったのね。」と言われました。
そこから大人しく休んでいれば良かったのですが、子供の頃から身につけた「働かざる者食うべからず」という考えが邪魔をして、調子が良くなったら仕事を探して、働きに出て3ヶ月後くらいにまた倒れてというのを繰り返したため、なかなか治りませんでした。
でも、2011年に祖父がなくなった時、不思議なことが起きました。祖父の葬式中に祖父の愛情が身体の中に入ってきたのです。私は祖父からものすごく愛されていたことをその時初めて知りました。そして葬式のあいだ中嗚咽レベルで号泣したら、うつ病が寛解したのです。
さらにその翌年に流産したのをきっかけに、重度の冷え性がなくなりました。
私はこの2人の死に生かされていると思い、そこから「自分を生きる」ことにしました。
当時の私は漠然とした不安から過食気味でものすごく太っていたのですが、一念発起でジム通いをはじめたところ、筋トレで11kgの減量に成功。身体が変わると世の中が変わって見えることに気づきました。
それを機にピラティスのパーソナルトレーナーの道に進むことにしました。
30代半ばで訪れた転機
そして転機が訪れました。
この出来事は私と神社の深い関わりを思い出す大きなきっかけとなりました。
当時の私は、カナダのピラティスを学んでいました。
ピラティスの勉強を通して、経済的に苦しかった学生時代に果たせなかった「留学する」という夢を思い出し、カナダにどうしても行きたくなったのです。
でも留学資金なんてありません。
そんな時「神社に寄付して、自分のやりたい事を宣言すると必要なお金が入ってくる」と書かれた本に出会いました。
しかも、ちょうど手元には大事に保管していた新札の1万円札がありました。
私はすぐに神社に向かい、バンジージャンプする思いでなけなしの1万円をお賽銭として納め、「私は来年カナダに留学します。」と宣言しました。
すると、その1週間後、
意外すぎる形で100万円が入って来たのです!
そして数カ月後には念願のカナダ留学が叶ってしまいました!!
留学先のカナダでまさかの展開
晴れて私はカナダのトロントに留学しました。語学学校に通いながら、学んでいたピラティスの本部での練習に通う日々を送ることになったのです。
語学学校では幸運なことに、英語しか話さない!と決めている意識の高いブラジル人グループに入れてもらえ、とても充実した生活が始まりました。
普通の主婦が地球の裏側に住む製薬会社社長、大学教授、医者、弁護士、会計士などブラジルのエリートたちと過ごせるという貴重な時間でした。
しかし数週間が過ぎた時驚くべき展開が待っていました。
ブラジル人たちの熱い情熱に触れるたびに、これまで私が抱えて来た常識や自分のアイデンティティーだと思っていたものなどがことごとく破壊されて精神が崩壊してしまったのです。
実は留学前の私は置かれた環境に窮屈さを感じていて、日本が嫌になってカナダに逃げた所がありました。でもいざ何でも私の自由にして良いと言われると何をして良いか全く分からず愕然としたのです。
ブラジル人たちの学ぶときは熱心に学び、遊ぶときは心の底から楽しむというエネルギーに触れるたび、「私は何がしたいのだろう?」と考えていたのですが、
自分の好きな食べ物すら分からなくなるというショック状態に陥り、体調もどんどん悪くなってしまいました。
大げさではなくこのままじゃ死ぬと思い、予定を繰り上げて帰国することとなってしまいました。
一瞥体験?1ヶ月寝て目覚めたら別世界
帰国後、パニック症候群と診断され、精神安定剤を飲みながら1ヶ月間ただひたすらに眠っていました。
この時私は一度死んで生まれ変わったのだと今では思います。
というのも、目覚めの後世の中が全く別物に見えたのです。軽い(?)臨死体験をしたようでした。
世界がキラキラして見えて、留学以前に悩んでいたことがどうでもよくなり、身も心も軽くなってしまいました。
心は穏やかで思った事がスムーズに叶う感じも楽しかったです。
その後もとの生活に戻ってしまったため、すぐにその状態は終わってしまったのですが、自分に何が起きたのかが知りたくなり、スピリチュアルな学びを始めることとなりました。
今思えば、「一瞥体験」というのをしていたようです。
すぐに元の状態に戻ってしまったのですが、そこから、「あの楽で楽しい毎日にはどうやったら戻れるのだろう?」と探求する日々がはじまりました。
そして、あるご縁でバッチフラワーレメディのセッションを受けてみたら謎すぎるメッセージをもらいました。
「早くあなた本来の力を思い出してください」と。
しかも頂いたバッチフラワーのエッセンスを飲んだ数日後には精神安定剤が要らなくなったのです。これにはお医者様もびっくりで「もう病院に来なくて良いよ!」と太鼓判を押してもらいました。
そこから、私の不思議な生活が始まってしまいました。
神社に呼ばれる…不思議生活のはじまり
「神社に呼ばれる」という不思議な現象がはじまったのですが、最初に呼ばれたのは奈良県桜井市の大神神社でした。
御神体である三輪山を登拝したら、山頂で出会った男性に、「あなたは巫女だ」と突然言われたのです。
普通に考えるとおかしな話なのですが、私は自分が巫女体質である事を思い出し、「そうでしたね。」と答えていました。
それ以降、不思議な事がどんどん起きるようになりました。
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行くべき場所や必要な道具が与えられ、いろんな場所でエネルギーワークをするよう求められるようになったのです。
やり方はなぜか知っているという不思議な感じでした。
ソウルワークを思い出す
またこの頃に、相手の魂(潜在意識)と繋がって、その人が魂の望みを生きているのかを知れるようにもなりました。
ヒーリングのやり方なども思い出したので、「みそぎばらいヒーリング」というヒーリングの提供を開始し、ご縁のある方たちが本来の自分を生きるためのお手伝いをするという仕事を始めました。
全国の神社に呼ばれ、私自身を整えつつ、各神社で色んなエネルギーを受け取り、それを次の神社に運ぶようにもなりました。
遠方の神社に呼ばれても、必要なお金や助けてくれる人がやってくるので、必ずそこへ行けるようになっていたのが面白かったです。
呼ばれる場所は神社とは限らず、叶姉妹に会えるイベントなどもありました。
叶姉妹はやはり何か特別な存在なようです。
神社復興で先祖を癒やす
神社にエネルギーを運ぶと、自然と次に行くべき神社が分かりました。
まるでリアルにドラゴンクエストをするような、RPGのような世界に私はいました。
神社ミッションがとても楽しかったので、お客様に頂いたセッション代の一部を資金難で困っている神社に寄付するという活動もはじめました。
そんな時に参拝した貴船神社で、「福知山にある元伊勢の豊受大神社が資金難で茅葺き屋根の修繕が出来ないでいる」という話を聞かされたのです。
「私が行かなければ」となぜか強く思いました。
翌週にはその神社に連れて行ってもらい、宮司と対面。
この宮司のお手伝いをする事で、私の先祖代々の魂も癒されると知った私は、修繕費600万円を必ず集めると決意しました。
お金は必ず集まると言う根拠のない自信が私にはあったのです。
当時やっていたアメブロで寄付活動を発信し始め、セッション代の一部を豊受大神社の茅葺屋根修繕費の寄付金にまわすという活動も始めました。
すると、奇跡的なことが起きてしまったのです!
長雨で屋根が崩落するという事故が起き、新聞に取り上げられたのです。
この事はパワーブロガーさんや、作家としても有名なさとうみつろうさんにまで知られるようになり、たくさんの方に豊受大神社の窮状を知ってもらえることとなりました。
そして、さとうみつろうさんから連絡がきました。
「チャリティーコンサートをやりたいので手伝ってくれ」と。
そこからみつろうさんの希望する日程でコンサートを開催出来るよう、宮司と共に急ピッチで準備を進めました。
たくさんの人が殺到した時に対応できるのかという不安があったのですが、コンサート当日、今度は高槻で大きな地震が起きてしまいました。
神がかったことが起きている…そう思わざるを得なかったです。
地震により交通網に影響が出て、その結果地元の方や本当にご縁の強い方々のみが現場に集まりました。
地震の被害に遭われた方には申し訳ないですが、豊受大神社にとっては最善の采配がなされたようです。
チャリティーコンサートの様子はみつろうさんの手配で全国にライブ配信され、当日現場に来る事が出来ない方たちの元にも届けられました。
そして、最終的に集まった寄付金はなんと2,200万円!
予定を大幅に超えるお金が集まり、茅葺き屋根の修繕のみならず、宮司念願の公衆トイレも設置出来るという結果となりました。直感を信じて行動するだけで、豊かさが大循環するのを経験できたのは本当にありがたかったです。
スピ系卒業。普通の生活へ。
ただ思う所があり、私はこのチャリティコンサートを卒業式としました。
「神様は自分の外側にはいない。自分の内側にすでに在る。」と言うことを本当の意味で気づいた時、それまで提供していたサービスが無意味だとわかってしまったのです。
そこでスピ系の仕事で積み上げたものは全て手放し、そこから5年間はスピとは全く無縁の生活を送っていました。
派遣で働いたり、プライベートサロンを開いてピラティスセッションを提供するという不思議度ゼロな普通の日々。
年に一度鞍馬寺を参拝する以外は神社仏閣にはほとんど行かなくなりました。
しかし、2023年の春分から流れがかわり、再び身の回りで不思議な事が起こるようになりました。
ショッキングな軌道修正もあったなあ…
5年の空白を経て再び
そしてシータヒーリングに出会いました。
シータヒーリングとはアメリカ人女性ヴァイアナ・スタイバルさんがチャネリングで得たヒーリング方法を体系的にまとめたもので、世界中にプラクティショナーがいるヒーリングです。
シータヒーリングは潜在意識のクリアリングやネガティブな思考の書き換えに長けたメソッドで、教科書には5年前に私が体当たりで学んできたことが、論理的に解説されていて驚きました。そして何よりヒーラーへの負担がないのが素晴らしいと思いました。
シータヒーリングというメソッドを通して、ヒーリングを体系的に復習出来たのはありがたかったです。
今はシータヒーリングの手法も取り入れながらオリジナルのセッションを提供しています。
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最後に
現在はサロンでの対面セッションを終了し、オンラインセッションのみを提供しています。マシンピラティスセッションの提供はしておりません。
今後は、本来の自分を生きると決め、自分としっかり向きかえる方に向けてネガテイブ感情やネガテイブ思考の手放しをお手伝いするセッションを提供していきたいです。
また、海外を含めて色んな場所を旅しながら、気づきを発信していけたらと思います。
最後までお読み頂き、ありがとうございました!
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