mimosaのブログへようこそ!
管理人のmimosaです。
はじめに
私は、本来の自分を生きると決めた方をお手伝いする場としてmimosaを作りました。
心と体が整うと、ありのままの自分で生きていくことを許せるようになり、楽になれる事を自らの体験で知ったからです。
そんな思いから、クライアント様に
・マシンピラティスによるコンディショニング
・バッチのフラワーエッセンスによるネガティブな感情の手放し
・シータヒーリングによる潜在意識にあるネガティブな情報の手放し
といった心・身体・魂にアプローチが出来るセッションを提供してきました。
2025年1月現在、個人セッションの提供は終了しており、今後は自立した人々がさらなる発展を遂げるお手伝いしていこうと思っております。
mimosaについて
mimosaを運営する私はどういう人間なのか?
私の歴史を紹介します。ちょっと重たい内容もありますので、冒頭部分は飛ばしてもらっても大丈夫です。
うつで10年間引きこもっていた私
私は6歳のときに両親の離婚により、長崎の離島で祖父母の家に「居候」する生活を余儀なくされました。当時田舎で片親の子どもというとどこか欠点があるに違いないと白い目で見られる存在であったため、ちゃんとした人間として育たねばならないというプレッシャー中で生きておりました。
そんな家庭環境が嫌すぎて必死に勉強して家を出て大学に入り、授業料免除と奨学金、そしてアルバイトで生活費を稼ぎながら単位を取って卒業。就職氷河期の中なんとか就職も出来ました。
そして、社会人3年目の24歳で結婚して我が家まで手に入れ、努力の結果で「幸せな人生」を勝ち取ることが出来ました。が、新築のマンションに入居した1ヶ月後に突然身体が動かなくなってしまったのです。
いろんな病院を受診して、ようやく付けてもらった病名は「うつ病」でした。
私は、それまでの自分が無理し過ぎて生きてきたことに全く気づいていなかったのですね。普通は張り詰めていた糸が切れて病気になるそうですが、私の場合はやっと自分の居場所を手に入れた!と気が緩んだことで強制終了となったようです。
自分に合わないやり方で頑張りすぎた結果、20代半ばから10年近くほとんど何も出来ずに家に引きこもって寝てばかりいました。
ただ幼少時代に身に着けた「働かざる者食うべからず」「他人に認めれられなければ自分は価値がない」という強い思い込みのために、少し体調が良くなれば職を探して働き始めては数ヶ月で体調不良になってまた引きこもる生活に戻ると言うのを何度も繰り返していました。
うつには波があるからじっと休んでれば良いのに罪悪感に苛まれそれができなかったんです。
そんな生活を続けた結果、自己肯定感がどんどん下がっていってしまいました。
また、元々は細身のスラッとした体型だったのですが、病んでいる間漠然とした不安から食べ過ぎてしまっていたため、激太りして自分の容姿にも自信が持てなくなっておりました。
しかし、2011年の震災の年、祖父の急逝により事態が一転します。
お葬式で祖父の愛情が全身に流れ込んでくるのが分かるという不思議な体験をしたのです。
私は祖父から厳しくしつけられてきたため、まさか私に強い愛情を向けてくれていたなんて気づかずに生きていました。でもその不思議な感覚により実はものすごく愛されていたことが分かり、ありがたすぎてお葬式の間中、私は嗚咽レベルで号泣し続けました。
すると、なぜかうつ病が寛解しているという奇跡が起こったのです。
「愛情が流れ込んできて、号泣しまくったらうつが治った!?」
科学的には証明できないことですが、実際に薬を飲まずとも元気な私がいて、これにはお医者様もびっくりしていました。
そしてその後、私は妊娠をします。でもすぐに流産してしまいました。
また自己否定してしまいそうになったのですが、流産の後の胎盤除去手術の結果、長年悩まされ続けてきた冷え性がなくなっていることを発見しました。
私は、この二つの死によって自分が生かされていることを知り、自分を否定するのを止め、自分の人生を大事に生きなければと思うようになりました。
ピラティスとの出会い
私はそこからジム通いを始めました。そこで筋トレに目覚め、運動だけで11キロの減量に成功するという経験をしました。その時世の中がキラキラと明るく見えた事は今でも忘れられません。
身体が変わると世界の見え方が変わることに感動した私は、この感動を伝えたくてパーソナルトレーナーの道へと進むことにしました。
私が選んだのはピラティスでした。
ピラティスはしなやかな筋肉を鍛える事で使いやすい身体を手に入れる事が出来るメソッドです。呼吸を大事にして自分の身体と向き合うピラティスは身体だけでなく心も整えてくれるのが特徴で、私のやりたい事がこれで出来ると思ったのです。
ピラティスの指導者になるための団体は世界中にたくさんありますが、パーソナルトレーニングに強く、エビデンスに基づいたエクササイズが出来ると定評のあるカナダの「STOTT PILATES」を選び、その全課程を2年で修め、しっかりと基礎を身に付けてトレーナーデビューしました。

更には短期ではありましたが、37歳にして子供の頃からの夢だった海外留学も果たすことが出来ました。
\\\神社で宣言したらサポートが来ました///


本部でピラティスを学ぶ人達と同じ待遇で、見学&レッスン受講をさせてくださったSTOTT PILATESには感謝しかなかったです。
創始者のモイラさんは目がキラキラとしたとっても素敵な方でした。
実はカナダ留学は散々な結果に終わるのですが、おかげで自己探求の旅が始まったので人生って面白いなあと思います。
バッチのフラワーエッセンスとの出会い
ただ、ピラティスで体を整えても、私の生きづらさはなかなか改善されませんでした。子供の頃から身につけた考え方の偏りや吐き出せずに溜め込んできたネガティブな感情がかなり根深かったのです。
そんなときに出会ったのがバッチのフラワーエッセンスでした。
バッチのフラワーエッセンスはピラティスを考案したジョゼフ・ピラティスさんと同じ時代を生きたバッチ博士というお医者様が作った、ネガティブな感情を手放すためのツールです。

私は、フラワーエッセンスを使って、自分の中にあるネガティブな感情を粛々と手放すという生活を始めました。
\\\自分が変わると大きな変化が生まれました!///
そして自分が今や誰もが知ることとなったHSP(敏感過ぎる気質)であるということを知ります。
また、ネガティブ感情を手放し続ける中で自分由来の感情というのがないということにも気づいてしまいました。周囲の人たちの感情の影響をかなり受ける気質であることを知ったのです。
自分の気質を受け入れてからは、他人や社会に無理に合わせることをやめれるようになりました。
私に必要なのは、自分が居心地良く過ごせる環境や、一緒にいて心地よい相手を選ぶことだったのです。
「人や社会に合わせられないのはわがままじゃない。ただ私のストライクゾーンが狭すぎるだけ(笑)」と理解できたのは本当にありがたかったです。
私は、今ではバッチのフラワーエッセンスを、敏感過ぎる気質な自分を整えるためだけでなく、
自分の夢を叶えたいと願う人の感情ケアのツールとしてサービスを提供出来るようになりました。
声楽家さんたちとの出会い
コロナになって、働く場所を失ったのをきっかけに私はサロンをオープンしました。
オープン準備の際に練習台になってくれたのが、たまたま声楽家の卵さんだったのですが、私はそれを機に声楽家さんに特化したピラティス指導を始めることにしました。
実は子供の頃から歌うのが大好きで、地元の合唱団に入っていたほどだったのですが、そこでMisiaと一緒に歌っていたのがプチ自慢なんです。
Misiaが一人で団員全員の声量を凌駕していたというのをその場で体感していたってすごいことだなあと思います。九州の離島というど田舎に住みながら、本物に触れていたのですから。
ただ、私はというと、鶏の首を締めたようにしか声が出せず、音程は取れるけど声量はないのが悩みでした。
でも、声楽家さんに指導することに決めて40代にして初めてボイストレーニングに挑戦。オペラ歌手の先生に指導していただくことになりました。すると意外なことを言われたのです。
「あなた、ソプラノでもかなり高い音階を出せるわよ。」と。
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そして「夜の女王のアリア」や「オペラ座の怪人」を題材に発声方法を教わりました。
ボイストレーニングを通して、良い姿勢で正しく息を吐けさえすれば、私でも高音が出せると知ったのです。
ピラティスを通していつの間にやら発声に必要なインナーマッスルが鍛えられ、全身で歌う基礎が身についていたのでしょう。
留学にしろ、歌にしろ、何かに挑戦するのに年齢は関係ないなと思う今日このごろです。
\\2023年は「サントリー1万人の第九」に参加しました!//
すべての経験を活かして
10年近く働けなかった私にはキャリアと呼べるものがないと思いこんでいましたが、会社勤めだけが経歴ではないと今では思います。
そもそもHSPで会社勤めは向いてないのによく頑張ったなとおもいます!(笑)
大多数の人と同じような生き方ができない自分を不便だなと思うことはありますし、日本では良しとされている「社会人生活」が送れない自分を責めたこともあります。
でも、この気質のおかげで、自分と向き合い、心と身体を整えながら這い上がるという経験を積めました。まるで自分自身を被験者にして人体実験を繰り返して来たかのようです。
長い時間がかかりましたが、今では自由なマインドでたくさんの事に挑戦できるようになり、何も出来なかった10年間でさえも立派な経歴と捉えられるようになりました。
おかげさまで、2024年にはマルタに留学することが出来ました。

私の経験や、私が信頼するメソッドを使って、自分の願いを叶えるために自ら行動する人たちを応援するという生き方が出来るのはありがたいことだなと思います。
自分がしっかりと経験し尽くしたことはその人にしかない強みです。その強みを使って社会の役に立てれば最高ですよね!
私だけのキャリアを世に出して、愛と豊かさを大循環させていきたいなと結構真面目に考えています。
最後に
サロンオープン以来、声楽家さんに特化してピラティスセッションを提供しはじめ、本来の自分で生きていきたいと望む方全般をサポートする方向にシフトしました。
そして今は、「本来の自分で生きるという自立」を果たした人たちに向けて、より良い人生を送るためのエールを送れるような人になりたいと思っています。
2025年1月現在、個人セッションの提供は終了しておりますが、ブログを通して皆様にお目にかかれたら嬉しいです。
最後までお読み頂きありがとうございました!


ホリスティックセルフケアサロン
mimosa
2024年12月末で個人セッションの提供は完全に終了いたしました。
ご愛顧頂きありがとうございました。