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ミステリーハント原点回帰自己統合徒然

【原点回帰シリーズ】夏至のカナダでズタボロになって帰国した話

原点回帰

今日は私がスピリチュアルなお仕事をするキッカケとなったカナダ留学の思い出を綴ります。

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超3次元な世界を堪能していた私

今から約10年前。私はピラティスの勉強に明け暮れる日々を送っていました。

ピラティスインストラクターの「フル認定」というのを目指して、某ピラティス団体が提供する全てのコースを履修し、必要な指導練習などを重ねた後に最終試験を受けるという流れの中にいました。フル認定されるには早くとも1年半から2年はかかると言われていたように記憶しています。

うつ病で10年近く社会から断絶されていた当時の私はとにかく焦っていました。キャリアと呼べるものがないから、社会で認められるためには、とにかくもっともらしい資格を早く取らなければならないと思い込んでいたのです。

午前中バイトに行き、午後はピラティスアカデミーに通い指導練習をする日々。さらに、週に数回ピラティススタジオでパーソナルトレーナーとして働いていて、ピラティスを中心に世界がまわっていました。

通っていた学校は表向きは海外の風を感じる自由なイメージを演出していましたが、実情は封建的な縦社会で、とても窮屈な場所でした。

今振り返ると、「超3次元的な場を楽しんでいた」のだなと分かるのですが、当時の私はスピリチュアルな知識がなく、その世界にどっぷり浸かっていました。

一番仲の良かった子が一緒だった頃は、冗談を言い合える時間もあり、そんな環境も楽しめていましたが、彼女が途中で学びを中断してアカデミーを去って以降はそうは行かなくなりました。

全ての過程を短期間で修めると決めていた私は、それでもアカデミーに通い続けていたのですが、まぁしんどくて。

当時はまだ自分が敏感すぎる気質(HSP)であることも知りませんでしたし、

うまく立ち回ることが出来ず、そこが社会の全てだと勘違いしていて、止めることも許されないと思い込んでいました。

さらに、この場に合わせることが出来ないのは、自分のマインドが悪いせいだと毎日1冊のペースで自己啓発本を読んでいました。そして今の私ではダメだと自分を責め続けていたのです。

そんなヘロヘロな状態で藁にもすがる思いで占いに助けを求めたら、

「出る杭にならないように自分を抑えるか、相手が打ちたくとも打てなくなるほど突き抜けるか、どっちかしかないけどどっちが良い?」

と問われたのです。

私の答えは「突き抜けたい」でした。

そんなタイミングで海外留学の夢が叶い、私は最終試験を残した状態のまま、日本脱出に成功してしまいました。

メンタルがかなりやられてたのに、よく海外まで行ったなと今では思います(笑)

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半端な願望には標識も全部灰色だった件

というわけで、2015年の夏至の時期をカナダで過ごすこととなりました。

トロントに渡った私は、「英語でしか話さない」と決めている、意識高いブラジル人グループの仲間に入れてもらえました。彼らは経営者・医者・会計士・弁護士・大学教授など普通では出会えない肩書を持つ人たちばかりでした。

頭が良くおおらかで、私のことを全肯定。
ダメ出しなんて一つもしません。

ブラジル人多めのスクールで日本人の私と友達になれたなんてありがたすぎる、とすごく大事にしてもらいました。

まず私がそこにいるだけで感謝される事に驚いたのと、遊ぶときも学ぶときも情熱100%で立ち向かう彼らの姿に感動しました。

彼らと過ごす時間はとても楽しかったです。

でも、彼らからの質問に答えるうちに

私はなぜカナダに来たのだろう?
私はなぜピラティスを学びたいのだろう?
私が本当に好きな食べ物は何だろう?
私は今日何がしたいのだろう?

と色んな事に疑問を持つようになりました。

英語で説明しようにも、そもそも日本語ですら答えが浮かびません。

私には英語を話す以前に日本語ですら語れるものが何も無い事に気づきました。今まで「私」だと思っていたものは一体何だったのだろうか?

何かを変えたくて、
日本が嫌でカナダまで来たのに、

「私はこういう人間です。」と説明出来ずとも、世間の常識を生きていればなんとかなる日本という環境に実はとても助けられてきたことに気付いた時は本当にショックでした。

ブラジル人たちは皆、「なぜカナダに来たの?」という問いに目をキラキラさせて答えていました。

その答えのほとんどが出世のためだったけど、心からそれを望んでいるのが伝わってくるんです。とてもピュアな気持ちでエゴが全く無かったことに驚きました。

対して私は、大した理由もないのにここにいる。
(それで良いのだけどね。)

しかも、あんなに嫌だと思っていた「日本」という温室にどこまでも守られて生きてきたという事実に愕然とし続けていました。

それ以降、宇多田ヒカルの「COLORS」という歌の「半端な願望には標識も全部灰色だ」というフレーズが脳内でリピートされるようになりました。

私は、もともとあったのかどうかも怪しいアイデンティティが崩壊し、留学継続が困難になるほどに判断力が低下。体調不良にも見舞われました。

朝ご飯に何を食べたいかも分からないやばい状態に。

長年自分だと思っていたものは誰だったのか?
私は何のために生きているのか??

 

私は自由。

どこに向かっても良いはずなのに、
どこに向かえば良いか分からなくなってしまいました。

日本では深く考えずとも、敷かれたレールを走っていれば良かったのに、
そのレールすら幻想だと気付いてしまった。

そんな感じだったのかなと思います。
それまでの私がそこで1回死にました。

つづく

 

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